馬堀方眼喜孝画伯作
「初代 神武天皇肖像画」
当館は昭和三十八年、当地の宮本光儀氏と馬堀方眼喜孝画伯との間で、歴代天皇百二十四代に及ぶ資料、絵画の展示について熟考され当初は京都、奈良など建設予定地があげられておりましたが、御肖像画の永久保存のため最終的には乾湿に最も適した当地が選定されたことによって翌昭和三十九年から足掛け六年の歳月を経て、昭和四十四年八月に当館の完成をみた次第です。
当時、時代的風潮として、歴代天皇御肖像画の展示となると思想的偏向を考えられ、人々の足を遠のく傾向がありましたが、昭和、平成と戦後の象徴天皇としての地位が一般国民に理解されるにしたがって、歴代天皇と神話から日本を理解することにも関心を持たれる方々が多く足を運んで頂きました。歴史学的な観点と神話の延長が交差する日本の歴史は、様々な角度から見つめることで新たな発見や見識を得ることがあるかもしれません。
ご来館の皆様が、何か心に銘するものがありましたら、当館のよろこびとするところであります。
奥津神社は当館に併設された男女和合の神様が祀られている神社です。「澳津彦命(おきつひこのみこと)」「澳津姫命(おきつひめのみこと)」を祀り、縁結び、子孫繁栄、安産祈願などにご利益があります。
此の神社に安置されてある御神体の如く、両命を同所に安置されたのは、実は全国唯一といわれこの奥津彦命、奥津姫命の両御神体は石刻によると正長元年戌申春(1428年)称光天皇御代の作でありますが、之が発見は昭和十一年春 城山中腹の洞窟に埋没されてあったものを発見し、この地に遷座奉安されたものであります。
両神は往時より子育て、縁結び、安産、福徳円満の神と称されておったのでありますが、或る方が長い間子宝に恵まれず悲しんでおった折り某信者より「両神に、三、七、二十一日の願をかけて祈願してみなさい」とすすめられ、その二十一日の満願間もなく立派な男児を授かり喜び限りなく之を聞き伝え、子育て、安産、縁結び、夫婦円満にと、信者の來参日に増し、またその功徳に驚き信仰家の増加一途を辿り常に賑わいを誇ってまいりました。
昭和44年(西暦1969年)の開館以来、半世紀に渡り多くの皆様に支えられ今日まで存続してまいりました日本歴史館ではございますが、半世紀の時の流れのなか建物や展示物に様々な経年劣化が生じてまいりました。今後も百年、千年先に日本の歴史を正しく継承するため、当館の存続を維持していくことが重要なことと案じております。当館の維持には損傷した各箇所の修繕が近々の課題であり、速やかに施工すべくこの度、修繕改修のための寄付を募らせて頂きたく皆さまにお願い申し上げます。
また、修繕工程及び経費報告は当サイトを通しすべて公開し、皆さまにご理解いただけるよう努めてまいります。修繕必要箇所の現状、修繕予定表、寄付方法等の詳細は修繕寄付のお願いをご参照ください。
会館の修繕工事及び肖像画の修復にあたり皆さまのご協力を頂けましたら幸いです。
日本歴史館では報道、書籍等での肖像画データの使用に関しまして、歴史資料として皆さまに広くご利用頂けるよう、1点ごとのライセンス料にて請けたまります。現在、肖像画使用権の許諾は法人のみさせて頂いております。ご申請のお申し込みはお問合せフォームまたは、お電話にて承ります。ご申請の後、使用目的、企画内容につきまして審議のお時間をいただく場合がございますので、ご申請の際はお時間にゆとりもちご申請ください。
肖像画使用権の使用料は目的と企画内容により異なります。ご利用目的と企画内容をご確認いただき利用料一覧をご参照ください。
また、ご申請の際は肖像画利用権の利用規約を必ずご確認頂き、規約内容に同意上、ご申請をお願いいたします。